哲学から学ぶ幸福とは①
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今回は飲茶さんの「飲茶の最強ニーチェ」から幸福について考えて行きます。
・目次
・哲学とは
哲学とは物を超えた存在について考える学問です。人間の体など物質的なものではなく正義などの物を超えた存在の意味や価値を考えることです。このように人生の本質とは何か?などを考えることを本質哲学と言います。
・実存哲学
実存とは「現実の存在」を略した言葉です。実存哲学とは本質哲学にケンカを売っているような哲学であり、生きる意味とかを考えるじゃなくて、もっと現実の存在について考えて行こうぜという学問です。
・生きる意味とは?
実存哲学では生きる意味を考えるのではなく、もっと現実について考えようという学問です。では生きる意味について考えることにマイナスなことがあるのでしょうか?
・背後世界
生きる意味について考える際に背後世界というワードが出てきます。背後世界とは外部から押し付けられた価値観を求めて失望することを指します。例としてあるOLが持っている価値観を見ていきます。
あるOLが持っている価値観 |
1 スマートな体系を維持するのが良い |
2 20代のうちに、誠実な男性と恋愛し結婚するのが良い |
3 やりがいのある仕事に就くのが良い |
このOLが上記の3つを達成することが生きる理由だと考えているとします。しかし、この目的を一個も達成出来なかった場合とても失望することが想像できます。この場合外から与えられた意味をを達成出来ず、本来存在しなかったハードルを超えられないがために不幸になってしまいます。
意味を見だすことで幸せになるのなら問題ないのですが、余計なことを背負い不幸だと感じてしまうなら生きることの意味を考えることは不幸につながってしまいます。その為、不幸や生きづらさを感じているなら、外から押し付けられた価値観に振り回されていないか考える必要があるかもしれません。
次に人間だけでなく動物を例にして考えてみます。下記は養鶏場にいる鶏の価値観を書いたものです。
養鶏場にいる鶏の価値観 |
1 たくさんタマゴを生むことが良い |
2 動けないくらい太るのが良い |
3 泣かずに静かに生きるのが良い |
皆さんはこの鶏についてどう感じたでしょうか?
この鶏が養鶏場にいる鶏の価値観に適応出来ていないと
失望や不幸を抱えてるとしたら?
養鶏場の都合に押し付けられた価値観は現実の鶏には関係ないことですが
鶏が不幸を感じていたらおかしいような気がしませんか?
この鶏の視点と同じに先ほどのOLを見てみると、背後世界と現実の世界は
本来関係がないことが分かるのでは無いでしょうか?
このように外部から与えられた価値観から失望を感じてしまうことを背後世界と呼びます。
「女とはこういうものだ」、「男はこういうものだ」といった話しは全てその時代、その地域で誰かが考えた架空の存在で見たり触れたり出来ない。しかし、人間は現実の存在なのだからありもしない価値観に縛られて惨めな思いを抱く必要はないんです。
・末人とニヒリズム
ここまで「人生に意味がない」や「与えられた価値観は無視していい」という話しをしました。
しかし、これだけでは人間はニヒリズム(虚無主義)に陥り生の高揚が失われてしまうとニーチェは言います。「人生に意味がない」と考えるのは与えられた意味づけからの解放につながりますが、人生に意味がないと思うだけでは生きる気力を無くしてしまいます。
そして、生きる目的も無くひたすら時間を潰す人生を送る人のことを末人とニーチェは言います。未来には例のような形で形成された末人が増えるとニーチェは予想していました。
例
1仕事や恋愛が生きがい→2退屈になり人生に意味がないと感じる→3意味がないから情熱を失う→4毎日忙しく働き暇を潰す末人になる
・まとめ
今回は外から押し付けられた架空に価値観に囚われる必要はないが、それだけでは生の高揚を得ることが出来ないというお話でした。次回は道徳と絶対的な価値観が失われた世界での幸福に関するお話です。
第2弾はこちらです
最後までお読みいただきありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ